太食調調子と足柄峠
| 私が尊敬し、師と仰ぐ「B師」のご先祖様 「豊原時秋」が一〇八七年(寛治元年)「新 羅三郎義光(源 義光)」より「足柄峠」に 於いて授けられた秘曲が「太食調調子」と言 われています。 その古事を偲んで平成十八年九月の初旬、 その「足柄峠」にて「太食調調子」を奏すべ く、万感の想いを抱いて当地へ赴きました。 九月とはいえ気候はほぼ真夏。しかしながら 海抜759Mの峠は若干秋の爽やかさを感じたよ うに思えました。しかし、何にしても残念な のは「蜂」「虻」の大群が飛び交い、身の危 険を感じずにいられず、吹奏を断念せざるを 得なかったのです。 約半月、完全とまではいかないまでも当地 で奏する事が「笙」の上達に繋がる事と信じ 、祈念しつつ稽古した「太食調調子」を奏す 事ができなかったのは残念でしたが、思い出 の地となった事には違いありません。 近い将来、必ずや念願果たせるよう「足柄 峠」を後にしました。 |
| 平成十八年長月 |
| 「新羅三郎義光」は源氏の武将で父は「源 頼義」。 兄は「八幡太郎義家」。 「義光」は武将でありながら風雅な人物で、名人「豊 原時元」より「笙」を学んでおり、「豊原時秋」は「時 元」の子である。「豊原家」は「笙」の名家であり、殊 に「時元」は並び無き「笙」の名人であった。「時秋」 が幼少であった為秘曲を弟子たる「義光」に授けしが、 「時元」が他界した後「秘曲」の後継者は「義光」唯一 人となる。 後三年の役(一〇八三年:寛治元年)「義光」は、兄 「義家」の窮地に助太刀すべく奥羽に向けて出発。「義 光」を慕う「時元」の子「時秋」も「義光」に加勢すべ く、遅れ京を発足し追走、「足柄山」にて加勢を嘆願す る。しかしながら、「義光」は自らが討死する事あらば 家伝の「秘曲」は永遠に伝承杜絶となる事を悲観。「義 光」は「時秋」の志を察し「時元」より授かりし「秘曲 大食調調子」を「時秋」に授け返し、師匠「時元」直筆 の楽譜を与え、志を諭したという。 |